越智氏よって南北朝時代に築かれた。 戦国期には筒井順慶、豊臣秀長らが【大和・郡山城(攻城No.0011)】の詰の城として改修された。 その後、本多氏・植村氏が入封し明治まで残った。 幕末には天誅組の攻撃を受けているが見事撃退している。
日本三大山城(【美濃・岩村城(攻城No.188)】、【備中・高梁城(攻城No.157)】、【大和・高取城】)の一つ。
「今までに訪れた中で最も良かった城は?」と尋ねられたらオイラは間違いなくここを挙げる。
麓の壷阪寺(西国33箇所・第6番札所)から、道なき道をひたすら歩きました! そしてたどり着いた山頂に広がる無数の石垣群! 感動すること間違い無しです。
帰りは大手を下っていったのだが山中にも石垣が点在しており、道中全く飽きない。
山城に珍しく水堀が見られるなど見所満載。 もう一度じっくり見に行きたい城である。
石垣 山頂に近付くと次第に見えてくる |
石垣 山中の至る所に残る |
石垣 山頂に連なる姿は圧巻 |
猿石 飛鳥村から持ち込まれたものか? |
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