足助七城(【三河・足助城(攻城No.0180)】、【三河・飯盛山城(攻城No.0538)】、【三河・大観音城(攻城No.0535)】、【三河・城山城(攻城No.0536)】、【三河・臼木ヶ峰城(攻城No.0539)】、【三河・成瀬城(攻城No.0540)】、【三河・黍生城(攻城No.0542)】)の一つ。
戦国時代、鈴木氏五代の居城。 略歴を記すと、
・二代目・重政のとき松平清康(徳川家康の祖父)に攻められ松平氏に帰属。 ・三代目・重直のとき、“守山崩れ”が置き今川氏に帰属。 ・桶狭間の合戦後に独立するも、松平元康(徳川家康)に攻められ降伏。 ・武田信玄の西三河進出に伴い重直は城を明け渡して逃走。 ・信玄の死後、徳川信康(徳川家康の嫡子)が城を奪還して鈴木氏に返還。 ・徳川家康の関東移封に伴い廃城。
波乱万丈の城です。
城跡には発掘調査を元に木材で復元された櫓や台所等が建っている。 日本各地にはありえない模擬天守が多い中、いい試みだと思う。
登城口にある城址碑 |
南の丸遠望 |
南物見台 |
西物見台 |
2011.05.06 再攻城
10年ぶりに再攻城。 新緑がまぶしく、とても清々しく見て回れました。
復元門 城址公園入り口 |
堀切付近から南の丸を望む |
北腰曲輪1 至る所に曲輪跡が残っている |
井戸跡 湧き水を溜めていた山城の生命線 |
西物見台 かなり立派な物見台 |
南物見台 南方面を見渡せる |
復元高櫓・長屋 |
復元高櫓一階 好感がもてる復元の仕方 |
高櫓内部は草鞋で見て回る |
復元厠(トイレ) お約束の“使用不可” |
三河・足助城 遠望 |
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