【備後・広島城(攻城No.0077)】の福島正則が改易された後、水野勝成が築城。
新幹線の福山駅ホームから見える白い城。 天守北側は丘が北へ続く丘陵であり守りが薄いため、天守北面に鉄板張りを施して防御していた。 古写真に残っているが現在はない。
こういったところも復元してくれてると、より思いを馳せることができると思うのだが。
幕末、日米和親条約の締結に尽力した若き老中・阿部正弘は福山城主。 オイラが好きな偉人の一人っす。
2004.05.03 再攻城
2004.05.01の攻城時、時刻は17時過ぎ。 天守内の資料館だけでなく、城の隣の広島県立歴史博物館にも行けなかった。
その歴史博物館で開催されてた特別展「阿部正弘と日米和親条約」をどうしても見たかったために、一連の中国地方攻城(備後・福山城〜安芸〜【備後・大可島城(攻城No.0329】))の帰りに再度攻城。
やっぱ阿部正弘は推せるね。
筋鉄門(現存) |
伏見櫓(現存) |
月見櫓(復元) |
阿部正弘公像 尊敬してます |
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