大友宗麟の家臣・高橋紹運が九州制覇を目論む島津の軍勢5万をわずか763名で迎え撃ち、豊臣秀吉の援軍が到着するまでの時間稼ぎをした後にあえなく全員玉砕した城である。 紹運らの墓が二の丸跡に残っている。
高橋紹運の散り際の潔さに憧れ、この城はとにかく一生のうちに一度は行っておきたいと思った城。 梅が満開の太宰府天満宮から歩いて登りました。 バテバテ・・・。
しかし、迫力の城址碑が出迎えてくれる本丸跡からの眺めは最高!(・∀・) 眼下に大宰府政庁跡や天智天皇が白村江の戦いにて敗戦後に築いた【筑前・水城(攻城No.0360)】を望むことができる。 今となっては「いい眺め」とのん気なことを言ってられる景色だが、紹運らは島津軍5万を眺めていたと思うとなかなか感慨深い。
ちなみに柳川藩主・立花宗茂は高橋紹運の実子で立花道雪の婿養子となっている。
本丸跡 |
大宰府政庁跡より岩屋城を望む あそこまで歩いて登ったよ・・・ |
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