2011.05.06 香積寺 二条良基装束塚(中央)
南北朝時代の公卿。 また歌人としても優れ、連歌の大成者である。
京都の戦乱を避けて三河・足助に来ていたとき、豪族・足助重範の娘・滝野との間に男子をもうけた。 男子は長じて成瀬基久を名乗り、後の尾張・犬山城主・成瀬氏の始祖となった。
二条良基は戦乱がおさまった京都に帰ったが残された滝野は形見の装束の抱き慕い続けた。 良基の死後、この装束を埋めたのが【装束塚】である。
墓所には二条良基(装束塚)の他、滝野、足助重範、成瀬基久、成瀬基直(基久の子)も葬られている。
【装束塚】入り口