奥平氏の家臣。 長篠の合戦時、武田方に包囲されていた【三河・長篠城(攻城No.0013)】から抜け出して【三河・岡崎城(攻城No.0014)】の織田・徳川からの援軍要請に成功する。 しかし再び長篠城に戻る際に武田方に捕縛された。 「城内に向かって“援軍は来ない”と叫べば命は助ける」と命令されたが、「援軍は来る」と城に向かって大声で叫んだために処刑された。 強右衛門の死が城内の士気を高め、その後の長篠の合戦へとつながっていく。
新東名建設に伴い現在の場所に移設されたらしい。 墓所のある新昌寺から東に程なく行くと「鳥居強右衛門磔死之碑」があるので押さえておきたい。
ちなみに鳥居強右衛門の墓の隣にはこれまた移設されてきた墓がある。 武田方の武将で右から和気善兵衛宗勝、伝高坂又八郎助宣之墓、横田十郎兵衛康景、伝小山田五郎兵衛昌晟となっている。
鳥居強右衛門磔死之跡碑 |
武田方の武将の墓 |
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