佐々木六角氏・高頼の時に大規模な城郭が築かれ、さらに義賢(承禎)が石垣を使用した大改修を施し、今の形となった。 六角承禎は織田信長と戦うも敗れ、観音寺城は廃城となった。
日本五大山城(【美濃・岩村城(攻城No.0188)】、【大和・高取城(攻城No.0136)】、【備中・高梁城(攻城No.0157)】、【出雲・富田城(攻城No.0159)】、【近江・観音寺城】)の一つ。
この山に登る人は普通、西国33ヶ所巡りのうちの一つである観音正寺が目的地だと思われる。 しかし、せっかく寺まで訪れたらぜひとも城までみてもらいたい。 「こんな山の上に石垣群!」と感動すること間違いない。
繖山(きぬがさやま)に残る数々の遺構は圧巻。 もう一度じっくり攻めたい城じゃ。
2005.08.05 再攻城
【近江・安土城(攻城No.0119)】より眺めただけですが・・・。
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